2014年12月アーカイブ

20141228100512119.jpg おそらくは今年最後のブログ更新となりました。

 今年もホントにいろんなことがありました。STAP騒動あり、号泣議員あり、突然の総選挙あり、ハヤブサ2あり。幾多の作家たちの想像が及ばない出来事が現実世界では起こるもんで、事実は小説よりも奇なりとは本当によく言ったもんです。

 特に朝日新聞には楽しませてもらいました。今月に入って一連の問題に関する第三者委員会の検証報告書が出され、社長の記者会見がありました。いちおう謝罪しているものの、社をあげて国益を損なったことについての責任の認識と、今後諸外国に対していかなる措置を講じ日本国民に対してどのように弁償してていくのかといういちばん肝心のところにはっきりと答えていません。何を聞かれても「重く受け止める」と、まったく木で鼻を括ったような答えに終始し、とても納得できるものではありませんでした。朝日の前途は多難です。

 さて、年の結びにはいいお話をしたいとうことで、米大リーグの名門ヤンキースで今シーズンまで活躍しフリーエージェント(FA)宣言した黒田博樹投手が、来シーズンは広島カープに復帰することが決まったそうです。年俸4億円。今季のヤンキースの年俸が19億円でしたから15億円減という、とてつもないダウンです。獲得を目論んだ他のメジャー球団の金額提示ははるかに高かったでしょうに、それを蹴って古巣に復帰という決断をしたようです。ビックリ。

 日本に帰らないといけない何かよんどころない理由があるのかも知れませんが、それにしてもなんという大胆な選択でしょう。金やない!という男気を感じます。プロ野球には、年俸の交渉でわずかばかりの上積みを粘って越年交渉する連中もいるというのに、そんな世界を超越しています。P5244635.jpg

 勤務先が大阪と広島で事業展開しており広島にはしょっちゅう出向くので、かの地のスタッフたちのカープ愛も昨今ひしひしと今身に染みて感じます。新井貴浩選手のタイガースからの復帰に続く朗報の連続に、彼らの喜ぶ姿が目に浮かぶようで、私までもなんとなくうれしく思ってしまいます。

 そもそもこのFAという制度ですが、ひとつの球団で長年精進、活躍しファンを喜ばせて球団、ひいてはプロ野球界の隆盛に貢献するところ大である、よってその功績を讃えて少しばかりのわがままを聴いてやってもバチはあたらんやろということで、本人の希望する球団への移籍を認めるというのが本来の趣旨です。

 制度のなかった昔にもそれに似た計らいはあったみたいで、往年の名投手金田正一がいい例です。国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)で300勝以上というとてつもない記録を続けてプロ野球人気を支えている功労を認めて、人気球団のジャイアンツに移籍させてやろってことになったとか。結果的に生涯ジャスト400勝という大記録を残しました。張本勲選手もそうです。パ・リーグで「安打製造機」といわれた名選手を讃えてその野球人生の終わりは華やかなセ・リーグの巨人でむかえさせてやろうということで移籍できたそうです。ちなみに張本、外野の守備は下手くそで「守っても安打製造機」と言われてたそうですが。

 落合選手にしたってそうですよね。みんなジャイアンツに行きたがる。だってプロ野球選手の現役なんて長くて20年、引退後の人生の方が圧倒的に長い。辞めたあとのいろんな営業のこと考えると「元ジャイアンツ」という肩書はやっぱり箔になります。だから、FA制度はそれなりに意味があったわけです。

IMG_2832.jpg ところが近年、なんだがこの制度が変になってきました。資格を得た選手がFA宣言したのちに「やっぱり残ります」なんてのが出てきた。じゃあなんでFA宣言なんてしたのよって話です。

 つまりは、FA制度は「本当に自分がプレーしたいチームに移りたい」ためではなく「他球団の評価も聞いてみたい」なんて単に年俸吊り上げのために他の球団への移籍をちらつかせる手段となってしまってるのです。

 プロである以上、年俸にこだわることは当然です。プロ野球隆盛のために後に続くプレーヤーに夢を与えることも大事でしょう。しかし、FA制度はその本来の主旨に沿って使ってほしいと思うのです。黒田投手の英断には拍手を送りたいです。

 このオフ、補強にことごとく失敗したわが阪神タイガースフロントの体たらくを思うとき、FAでメジャーを目指しそうな鳥谷選手。なんとか思い留まってくれんもんでしょか。カープはじめ他球団との差が目立ち、来年は何とも厳しい陣容でペナントレースに臨むこととなりそうです。トホホ…。

 さて、いよいよ年の瀬を迎えました。世間の喧騒はさておいてわが身を省みるとき、今年も早かったなぁと1年前ここで同じように記したのがつい先日のことのように思われます。歳とるにつれて1年が早くなることを「ジャネーの法則」とかいうそうですが、いまさら法則なんて言われなくてもその現象の理由は誰だって知ってますよね。2歳児の1年は人生の2分の1。私の1年は人生の52分の1。早く感じて当たり前です。

 ともあれ、今年も何とか息災に1年を過ごすことができました。いつも思うのですが、いちねん振り返ってみて、自分ひとりでは何ひとつできなかった、本当にいろんな人にお世話になったおかげやなあということをしみじみと感じる年の瀬です。ありがとうございました。来年もどうかよろしくお付き合いください。

 来るべき新年がみなさんにとって、どうかどうか良い年になりますよう、お祈りいたします。

 2週連続のフェスティバル・ホール、後半のお話です。

 イングリット・フジコ・ヘミングとスロバキア国立放送交響楽団の競演で、演目が豪華。ベートーベンのP.コンチェルト「皇帝」、ドボルザークの交響曲「新世界より」、スメタナ「モルダウ」と超ポピュラーなラインナップでした。

 フジコ・ヘミングは、その波乱万丈でドラマチックな人生がテレビドラマにもなったりで、ファンが多く人気のあるピアニストです。

 スウェーデンと日本の混血で戦中からピアノの天才少女として注目されたものの、一時聴力を失いIMG_3159.jpg今でも完全に治ってはいないらしい。また、昔、日本国籍をとりそこねて留学できなかったこととか(難民として渡欧)、スウェーデンではピアノ教師の他に病院の掃除をして生活費を得てたこととか、動物愛護家で数十匹の犬・猫と暮らしてるとか(猫を養うためにピアノを弾いていると話したことがある)、奇抜なエピソードに溢れた人です。

 1999年にNHKのドキュメント番組で取り上げられたことがきっかけで日本でもブレイクし、CD売れるわ、リサイタル大入りやわ、今や確固たるブランドを確立しました。

 この日、いつもながらの独特のフジコ流ファッションのステージ衣装で登場。かつて浮浪者と間違えられたというのもわかります。これは街を歩ける衣装ではないし、フジコ以外でしたらステージで着ようとはまず考えないでしょう。オペラグラスでよく見るとモサッとした真っ黒い上っ張りの下に見えている朱色の下地部分は松竹梅の柄でした。多分、着物の生地をじぶんでアレンジ(というのか)して作ったんでしょう。

 演奏は素晴らしかった。コンチェルトは独特のテンポ感でフジコが自由に弾いて、オーケストラが何とかついていっているという感じ。さすが一流の指揮者とオケ。引きずられながらもピアノをよく盛り上げていると思いました。フジコの原点、代名詞ともなった「ラ・カンパネルラ」はさすがに圧巻の迫力でした。CDとはいくぶん違うように思いましたが、きっと進化してるんでしょう。

 演奏終了後、フェスティバルタワーの中にあるヱビスのビアレストランでコンサートの余韻に浸りながら一杯引っかけて、気分よく帰ることができました。

 フジコの演奏について、評論家やなんかから悪口を聞くことがあります。曰く、テクニックはないだのミスタッチが多いだの。また、フジコの演奏に感動する連中は、音楽そのものではなく、その人となりや伝えられるドラマに魅せられているだけや、というものです。音楽のなんたるかも分からないくせに、ミーハーはこれだから困る、というわけです。こんな評論家さんたちにかかると、国際ピアノ・コンクールで優勝し感動をよんだ、かの全盲のピアニスト辻井伸行にしても「全盲なので話題になったが、演奏家としてはまだまだ大したことない」ということになるみたいです。

FUJIKO.jpg わたしはもちろん音楽の専門家ではないし熱心なクラシック音楽マニアというわけでもなく、ただの音楽好きに過ぎません。したがって、ピアノの演奏を聴いてどこがミスタッチしたのかなんて知るよしもないし、素直にこの日のフジコの演奏は情熱的で素晴らしいと感じました。

 人それぞれ感じ方があっていいとは思いますが、コンクールでの審査ではないのですから、採点するかのごとく演奏のアラさがしをするような批評・批判はやめてほしいもんです。フジコの生きざま、人となりといった背景をも含めて音楽を感じ、素朴に感動するという聞き方があってもええやないですか。ミーハー上等ですよ。生涯素直なミーハーでいようと思います。

 わが家で探してみると、フジコのCD1枚だけありました。もっとも有名なアルバムのひとつ「憂愁のノクターン」、ノクターンやラ・カンパネルラをはじめ、誰でも知ってる有名な曲を集めたお得盤です。いつもブログ更新の朝はアップテンポなポップスを鳴らすのですが、今日は先日の感動を思い起こしつつフジコのピアノで癒されてます。

 今年もあと半月あまりとなってきました。

 スケジュールは公私ともビッシリです。師走の忙しさはいつものことですが、今年はなんだかいちだんとヒドい。どっかで段取りが狂ってるみたいですが、仕方がない。すべて自分でまいた種です。忙しい忙しいといいながら昨日、今日と一泊忘年会兼ねてのゴルフ合宿に出かけて先ほど帰ってきたというようなわけで、今時分のブログ更新となりました。

 出発前は「寒気が南下して西日本でも山間部は積雪が見込まれる」と絶望的な天気予報でした。もし雪でクローズになったら、遠い岡山県北部のコースまででかけて、宴会だけやって帰ってくる羽目になるところでした。車にタイヤチェーン積み込んで祈るような気持ちで出かけましたよ。ところが、さすがに気温低く風強く今年初めて経験する壮絶な寒さではあったものの、雪は我慢してくれました。2日目の今日に至っては寒さもじゃっかん弛み風もなく、それなりに楽しめたゴルフでした。

 さてコンサートの話ですが、どうも演奏会に出かける機会は毎回2回ずつセットで巡ってくるみたいで、今回も2週続きました。geidai.jpg

 いずれも大阪中之島のフェスティバルホールで、先週は大阪芸術大学の特別演奏会にご招待いただき、今週はフジコ・ヘミングとスロバキア放送交響楽団の共演、こちらは早くからチケット買って楽しみにしてた公演です。

 フェスティバルホールは、ちょうど2年前の杮落とし以来、行ってみたいと思いながらなかなか果たせずにいたところ、はからずも2週連チャンとなったわけで、何ともタイミングが合えばこんなもんです。

 いっしょに行ったうちの奥さんは、以前にフェス一度来たことがあるんです。STAP芸人の小保方さんとならんで、ある意味今年の顔となった佐村河内守のシンフォニー「HIROSHIMA 」の演奏会です。私も一緒に来るはずが、仕事が入ってやむなく断念したのでした。その時はのちにあんなドラマチックな展開になるなんて、思いだにしませんでしたが(^^)。

 さて芸大の演奏会。演目はフォーレのレクイエムです。数あるレクイエムの中でも人気のある曲です。曲のはじめから終わりまでホンワカした独特の雰囲気に包まれる、不思議な曲です。

 レクイエムは「死者のためのミサ曲」と訳されるけど、そいやミサ曲とレクイエムってどう違うんでしょ?まあ、どっちもキリスト教の教会音楽ってことで細かいことは気にせんとこ。お祈りの歌といえば、あと讃美歌やゴスペルなんかもあります。以前にも書きましたが、宗教は音楽の発展に大きく寄与してきました。人の心にうったえるところが大きい音楽の力を、宗教が利用してきたともいえますが。

 今回の芸大のレクイエムです。指揮者の大友直人さんがカッコイイ。長身痩躯、長髪のイケメンで実にミバがよろしい。女性ファンが多いのも道理ですね。

 肝心の演奏ですが、なかなかに見事でした。例によって音楽性に関しての難しい理屈は分かりませんが、素人の私にとっては実にすばらしい演奏でした。オーケストラもプロと遜色ない。芸大生の管弦楽団のはずが、中に明らかに学生やない、どう見ても60過ぎてるやろ、というおじさんたちがいたのはご愛嬌、多分助っ人さんでしょね。

 いつも招待チケットを手配してくれる芸大の知り合いに感謝しつつ、終演後に飲んだワインの酔いも手伝ってホンワカした心地のまま家路につきました、少し寒さの緩んだ夜でした。

 この項、続きます。

夢を載せて

| コメント(0) | トラックバック(0)

 JAXAのH-IIAロケット26号機の打ち上げが成功しました。

 宇宙ロケットというと、われわれの世代やとすぐに米アポロ計画の月ロケットを想起しますが、いつの間にか日本でも純国産のロケットを開発し、人工衛星をバンバン打ち上げるほどの技術を確立してたんですよね。

HIIA.jpg 今回のミッションは、人口衛星の軌道投入ではなくて小惑星探査機「はやぶさ2」の発射です。ドラマチックな地球帰還で日本中が感動にわいた「はやぶさ」の後継機ということで、さらに注目が集まった感じです。

 リニアモーターカーの敷設やiPS細胞の実用化など、科学技術の最先端情報は大きなニュースになります。大阪万博やないけど、人類の進歩はここまできてる、その時代に自分が生きているという実感に誰しもが感動するからでしょう。その中でも宇宙開発は人類がまだ見ぬ未知の領域としてはけた外れに大きい。知れば知るほどその壮大さに圧倒されながら、省みてちっぽけな存在の人間が起こせる所業はどっこい存外大きい、などと想像と創造を導いてくれます。

 今回探査の対象となったという小惑星「1999JU3」は、地球とよく似た軌道で太陽を回ってる直径900mくらいの天体やとか。そこまで行って地面を削り取って持って帰ってくるそうです。そんなことホンマにできるんやろかと思いますが、実際に先行機の「ハヤブサ」は小惑星イトカワ表面の微粒子を持ち帰りました。

 私が愛してやまない桂枝雀さんは若い頃、アポロの月面着陸について、「あんなことできるはずがない。あれはスタジオで撮影したに違いない」という説をとってました。だって、幼い頃、田舎で小川を跳び越すときでさえよく失敗してボチャッとはまった。もちろんこちらの岸も向こう岸も止まってるのに。それを、動いてる地球から動いてる月に、動いているロケットに乗って行けるはずがない、というものでした。これは大いに説得力があります。わたしもスタジオ説に賛成でした。hayabusa.jpg

 しかし時を経て21世紀、ハヤブサは帰ってきました。そしてさらなるミッション背負って再び遥か彼方の小さな星を目指して旅立って行きました。これはSFの世界でもなければ、遠い未来の出来事でもなく現実に起こりつつあることなのです。枝雀さん、もし存命ならばどういうコメントをマクラに振ったでしょうか。

 その後アメリカではアポロからスカイラブの宇宙ステーション、そしてスペースシャトルとどんどん宇宙開発を進め、日本はその後塵を拝してきました。なぜか飛行機産業や宇宙開発は発達しなかった。やっと先日、初の国産ジェット機を製品化したところです。

 太平洋戦争にボロ負けした日本は、世界中から「危険な国」のレッテルを貼られて軍需につながる航空機産業は禁止されたからこの分野が遅れてる、ということがよく言われてますが、そんなことはないでしょう。連合国の占領下にあった8年間はそうであっても、独立して主権回復ののちは誰はばかることなく研究開発できたはずです。実際、戦後の貧しい時代にYS‐11という傑作機を開発しました。一方でジェット機の開発は遅れたのは、やっぱり採算の問題やったんでしょうね。つまり、ジェット機やロケット造っても儲からない。アメリカにまかしとけばよかったと。

 がむしゃらに走ってきた日本は、この間、効率と利便を極めることに技術開発の力を注ぎ、人の幸せを実現してきました。その延長で考えると、小惑星の石を持って帰ってきていったい何の役に立つのか、そんなことに税金使って国民の腹が膨れるのかということになります。ところが、高度成長終えてバブルも経験して、その後の不況に苦しんで21世紀の現代、日本の国民はその持てるモノづくり技術をもっと夢のある分野に活かしたくなってきたのです。果たして目に見える利益だけが技術の使い方やろか、という話です。

 実際今回、巷間賛辞に満ちています。「JAXA、Good job ! 事業仕分けで民主党にいじめらながら、本当によくやった。頑張れハヤブサ2!無事に還ってこいよ~」

 みんな夢を求めてます。

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ