2014年11月アーカイブ

一票の格差

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 いいお天気でした。歩いていると汗ばむような陽気です。うちの奥さんがめでたくiPhone6+を入手できる運びとなり、今日手続きに付き合ってきたようなわけで、一日の段取りが押して押して、今頃ブログの更新を楽しんでいるという次第です。いまさらですが6+、大きくていいですね。老眼にやさしい。私もやっぱしプラスの方にしとけばよかったかな。

 さて、明後日、衆議院選挙が公示されます。昨日、選管から入場券が届きました。来月14日の投票日はまたぞろゴルフに出かける予定なので、これは期日前投票とせねばなりますまい。

 今回の総選挙、フヌケのような野党相手に自民党の圧勝はまず間違いないものとして、注目したいのはやはり「一票の格差」の件です。

vote.jpg 憲法が保障する「法の下の平等」の精神に反するということで国政選挙のたびに「選挙無効」の訴えが起こされ、裁判所は「確かにおかしくて違憲状態ではあるけれど、やっちゃった選挙を無効にするとそれはそれでエライことになるから、今回だけは許してあげて」という判決を繰り返してきました。で、「おい、ちゃんとしろよな」と国会に是正を迫り、そのたびに国会はちょこちょこっと定数や制度をいじくって直近では「0増5減」なんてお茶を濁してという繰り返しの中で、一向に抜本的な正常化が図られずに今日に至っています。そろそろ最高裁もキレかかってます。わが国ではアジアの某国のように反日の国是や共産党の支配が法律に優先するようなことはなくて、三権分立がきちんと機能してます。国会が裁判所を無碍にすることはできません。

 最高裁、過去の訴訟では1票の価値に5倍の格差があっても「合憲」なんて判決出してましたが、近年でみると過去4回の国政選挙で全部「違憲状態」としています。下級審も過去には「違憲状態または違憲やけど選挙は有効」という判決を続けてましたが、とうとう前回の総選挙の際に広島高裁で「猶予期間なしに選挙無効」という判決が出されました。この訴訟はその後最高裁で「選挙は有効」と覆されたので大過なきを得ましたが。

 裁判所の怒りが徐々に募っているのはまちがいありません。今回の総選挙でもすでに有志の弁護士さんたちが訴訟を起こしました。さて今回裁判所はどうするか。

 この格差是正、確かにやっかいな問題ではあります。人口が極端に少ない都道府県でも少なくとも1人は代議士やらせてやんないといけない。参議院の場合はさらに深刻で6年任期で3年ごとに半分ずつ改選するもんやから、少なくとも選挙区ごとに2人以上の定数がいることになります。有権者48万人の鳥取県の定数が2人なら、1,080万人といちばん多い東京都には定数45人いないといけないのに実際はたったの10人です。東京都民1人は鳥取県民の4.5分の一の価値しかないことになります。極めて失礼、無礼な話で、明らかに人権の蹂躙です。かといってそれに見合うだけ東京や大阪、神奈川など人口多いところに必要数の議席を配分したら、議員の全体数が膨大に膨れあがります。ほとんど仕事していない議員も多くて、ただでさえ定数削減が喫緊の課題となっている中で、こんなことはとてもできるはずもありません。

 さて、どうするよ。

 そもそも国会議員を地域地域の利益代表者と見なして、都道府県ごとに選挙区を設定せなあかんから必定こんな問題が生じるんです。明治から戦前戦後までは地方がまだ元気で、ひとの営みは都会とのかかわりがなくてもきちんと成り立っていました。日本中にベターっと人が住んでて、人口密度の差が今ほどひどくもなかったので、それなりの定数配分ができていた。しかし戦後人口が都市圏へ集中して地方の過疎化が進みはじめて、定数の配分に具合が悪くなりました。「地方創生」なんて言って政治はたてまえ都市も田舎も差別しないことになってるもんやから、選挙制度も「1人別枠方式」にして、各県最低1人は…とせざるを得ない。しかしその結果、都会の住民の権利侵害という逆差別を生じてきました。

 各都道府県を構成要素のセルと決めつけるから話が行き詰るんです。まず参議院は選挙区なくして全国区オンリーにすべきでしょうよ。衆院選でも比例区の議席をうんと増やすとともに選挙区もブロックのみにして小選挙区は廃止すべきです。そうすれば議員定数の削減も一気に進んで一石二鳥です。国会議員の数なんて、今の半分でも十分やと思います。だいたい政治家が地盤と出身団体の利益しか考えないから日本の政治は発展がないのです。「経済一流政治は三流」と諸外国から揶揄されても、これだけは変えずに続けてきた。それどころか、地元への利益誘導こそがゆいいつ政治家の仕事であると勘違いしている連中がずっと議員に居座って、陳情の処理だけに情熱を注いでいるのが今の国会の実態です。

 そうやないでしょ。市議村議、県議やなくて、うそでも国会議員なんやから少しは国を憂えるということを覚えてほしいもんです。そのためには選挙区なんて無いのが一番いいんです。有権者も、ただ単に「地元の人やから」という行動動機でもって投票するのはもうやめましょや。貴重な一票をそんな理由で行使した人には政府・与党の政策に文句を言う資格はありません。他に方法がないんやから、あとは裁判所を本気にさせないうちにきちんと改革やってくださいな。

 なんだかよく分からない理由で突然行われた今回の解散・総選挙。ただでさえ国民の脱力感は募っているのに、お金かけてやった選挙の結果が「無効。やり直し」なんてことになったら、順風満帆余裕の安倍ちゃんも思わんところからの攻撃で窮地に追い込まれますよ。 

 今日もいいお天気です。昨日も同様で快晴のもとでゴルフを楽しんできました。なぜか最近ゴルフの機会が増えています。誘われて他に用事がなければ断る理由がありません。おかげさまでストレス解消楽しい一日を過ごしました。スコアがついてくればいうことないのですが、こればかりは如何ともしがたく練習不足の身を恥じるばかりです。

 さて、今日の話題は、やっぱり政局でしょ。IMG_3119.jpg

 安倍さんにとっては「今でしょ!」と踏み切った今回の衆議院の解散ですが、国民にとっては「え?」というタイミングでした。表向きは「消費増税の延期について国民に信を問う」という解散理由を上げてますが、それ言うなら「消費増税やるかやめるか国民に信を問う」というべきでしょう。理由がこじつけであることが明白です。

 安倍内閣の支持率は徐々に下がってきているとはいえ依然として5割近い。もう遠い昔の悪夢のように思える民主党政権末期とは比較にならない。支持の声は強く期待も大きい。普通なら増税だろうがなんだろうがどんな法案も思い通り通せる安定の安倍ちゃんのハズなんです。今さら増税時期を世に問うために解散総選挙なんてあり得ない。

 本当の理由は、改憲を睨んで超長期超安定政権を確固たるものにするための布石ということでしょう。

 無様にも勝手にコケた民主党からの政権交代によって颯爽と現れた第2次安倍内閣は、国民の期待が大きかった。その後のアベノミクス政策によって、ある程度の景気の回復もやってのけた。政権への評価と期待はいや増して高まりました。安倍さん「よお~し。この勢いをかって一気に憲法改正までもってくどーー!」

 ところが去年の今ごろでしたか、内閣改造とかで女性閣僚を起用したところ、これがとんでもない大ハズレで、元総理総裁の娘ということで政界入りした2世議員がカネの管理にだらしなくて、「うちわのオバサン」とセットで大臣クビになってしもた。閣僚の不祥事すなわち首相の任命責任やと追求のネタになってしまい、自民党議員の遺伝病である「政治とカネ」の問題でどうもイメージが下がってきました。これはマズイ。

 あわてた安倍さん、まあ今のままでも衆院議員の任期までなんとか国会対応やってやれないことないけど、重要法案通すのしんどいし、任期満了解散でどれだけ勝てるかわかんない。一度道路の真ん中逸れたクルマがぶれたまま走ってゴールにたどり着くのはむずかしい。なんとかゴールできてもそのあとも改憲に向かって長い長いレースが続くのです。したがって、ぶれた時点で一旦止まって再スタートするのが結局は得策でなんです。これは政治に限らずどんなビジネスでも鉄則です。ましてや、与党公明党のみならず自民内部にも「ポスト安倍」を虎視眈々と狙う輩はゴマンといます。こんな連中に足をすくわれるわけにもいきません。

 だったらまだ支持率がそこそこ高くて野党がだらしないうちに、ネガティブなゴタゴタはいちど清算して、も一度支持率上げたうえでやり直そうと。このあたりがホンネやろと思います。これは賭けではありますが、勝算のある賭けです。確かに今、野党は無いに等しい。有権者は自民党嫌いでも代わりがいない。「ムリに選べってんなら、まあ自民党でええか」となります。まず、自民党が大勝するでしょう。争点がはっきりしない分けわからん選挙ですから投票率は下がります。それでも勝ちは勝ち。燃料投下完了、新鮮な気持ちで再スタートできるという段取りです。

 例の2世議員も、賭けてもいい、間違いなく当選します。「禊(みそぎ)は済んだわよ、ホホホ」とか言って国会に帰ってきます。地方の有権者の民度なんてそんなもんです。閣僚任命はさすがにないでしょうけど。

 私はずっと心情的に護憲、リベラルに近く、自民党は支持しませんし安倍さんの政治思想、考え方にもくみしません。しかし、信条の良し悪しは置いとくとすると、長期的なビジョンと信念をもち雑音を気にせず、これだけ重たい判断をサクっとやってのける安倍さん、スゴイと思います。おそらく、権謀術数うずまく中で権力闘争を勝ち抜くための政治家としての勝負勘が働いたんでしょね。繰り返しますがその信念のたどりつく先が良いか悪いかは別問題、あくまで政治手法についての話です。

 政治家のことはみんながバカにするし、確かにバカな政治家が多いけど、一流どころはやっぱりそれなりに頑張るよなぁ、なんて妙に納得した今回の解散でした。

朝日を浴びて

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 ずいぶんと寒くなってきました。通勤電車でもコートを着たビジネスマンが増えてきています。災害が起きても、紛争が起きても、政治が変わっても変わらなくても、いま地球を支配している人類の営みがいかなるものであろうとも季節の巡りは悠久の太古より連綿と続き変わることがありません。せいぜい「去年の夏は暑かった」「今年の冬は雪が多いなぁ」程度です。考えようによっては、これはすごいことやと思います。

 かなり以前、東京からのお客様を京都見学でもてなしたことがありましたが、いくつかの古刹を巡る中で、妙心寺の塔頭を案内していただいたのがなんとも桂小枝によく似た臨済禅のお坊さんやったのです。で、この方が教えてくれた、臨済宗妙心寺派管長 山田無文猊下のことばが印象に残っています。
 
 「大いなる者に抱かれあることを、今朝吹く風の涼しさに知る」
 

IMG_3042.jpg 大自然の偉大さに深甚なる敬意を捧げるとともに、今この瞬間自分があることを感謝する気持ちが実に素直に響いてきます。以来、好きな言葉のひとつとして、小枝さんの面影とともに折にふれて思いだすのです。

 わが家の寝室は東向きで毎朝カーテン開けると朝日の直撃を浴びて一日が始まりますが、一年中、基本的に起床時間がおんなじなんで、季節の移ろいによって目覚めるときの朝日の位置が変わっていきます。12月から2月はまだ夜明け前です。むくむくと起きだし、洗顔着替え朝食と朝のルーティンを粛々とこなして「行ってきます」とドアを開ける玄関も東に向いていて、まず山の上に昇る太陽に挨拶していざ出発となります。

 電車、バス乗り継いで、職場隣の城北公園の舗道を歩くころ、お陽様はかなり高く昇っています。この朝日を浴びる公園の情景が、忙しない中にも爽やかさと希望が充満している気がしてわりと好きです。今日いちにちの仕事の段取りを反芻しつつ公園の径を辿るとき、「よおっし!」という日ばかりではなく「あちゃぁ~」とか「ふにゃぁ~」とか思うときもあるわけですが、日光を浴びて公園の樹々の中で深呼吸すると、徐々にがんばろーという気が湧いてくるのです。

 ひとりひとりその日の気のもちようがどうであろうとも、まず間違いなく朝日は昇り、夕陽は沈んでいきます。大いなるものに抱かれつつ、今日の使命を尽くしていこうと思うこの頃です。

 さて、そんなこんなで暦は進み、いつの間にか秋も深まって師走の足音が聞こえてくると、今日は全国高校ラグビー大阪府予選の決勝戦で花園ラグビー場に行ってきたようなわけで、今頃になってブログを更新しております。以前にも書いたことがありますが花園ラグビー場、クルマで行くとゲーム終了後に駐車場から出るのにとてつもなく時間がかかるのです。PB165272.jpg

 わが校は昨年も大阪府予選で敗退し全国大会に出場できなかったものですから、雪辱を期して気合いを入れて応援に出かけたわけです。

 決勝戦は実力伯仲、ロースコアのいい試合でしたが、なんとなんとノーサイド間際のアディショナルタイムに逆転のPGを許し、悔しい1点差でもって残念ながら決勝戦敗退となってしまいました。

 精進を続けてきた生徒たち、なんともかわいそうです。しかし、この悔しさを糧にして来年へと夢をつないでいきましょう。

 来年のお正月は、今年に続いてラグビー観戦のない、静かな三が日となります。

オルガンの調べ

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 今日は朝からしっかりとした雨が降ってます。市民総体で出場予定のテニスの試合が延期になってうちの奥さんは恨めしそうに空を見上げてますが、わたしはもとより完全オフを予定していた日曜日、久しぶりに朝寝を楽しみ、というか惰眠を貪った結果、昼過ぎてやっとブログ更新にかかっています。晩秋の雨は冷たさがいや増して、物悲しさと淋しさが募ってきます。こんな日はまったりと音楽に浸るのがいちばんです。

 昨日、土曜出勤した帰り、気分転換でいつもと違う住宅街を抜けるルートで地下鉄まで向かったところ、通りがかったおうちからオルガンと思しき音色が聞こえてきました。なんと懐かしい。今でもあのブカブカ足踏み式のんがあるのでしょうか。電子キーボードやシンセサイザーとは明らかに違う、この音は紛うことなき旧式のオルガンです。

 ピアノのあるお家はそこいらにありますが、オルガンも現役やったのですね。遠い記憶が甦ってきました。

 小学生の頃、田舎の山峡にあった小さな小学校にはもちろん音楽室なんてシャレたものなどなく、講堂と称してたいちばん大きな教室にいちおう舞台があり、アップライト型のピアノも置いてあって音楽室兼ねてました。壁にはお約束の作曲家の肖像がずらっと並んでたもんです。音楽の授業はここでやってたわけですが、教室にもピアノがわりのオルガンが置かれてました。

 当時、クラスメィトにはお稽古ごとでピアノを習っている女子がかなりいたように思います。赤黄バイエルとか、チェルニーとか、ブルグミュラーがどうのなどと女の子だけで盛り上がってたのを覚えてます。男子は誰も習ってません。なんせ小さな田舎町のこと、ピアノなんて女の子のものという風潮があったし私もそう思ってました。音楽の授業もどっちかというと嫌いでした。しかし後年、長ずるにしたがって音楽の楽しさ素晴らしさを知るに至り、ピアノひとつ弾けないことの悲哀を痛感し、西田敏行の歌が身に沁みていくこととなります。

 両親に「なぜに小っちゃい頃から、ピアノを習わせてくれなかったのか。あの頃習い事といえばピアノやったやん」と質したところ、「何言うてんねん。『やる?』って聞いたら、あなたが『いやや』て言うたんやないの」

 いや、諦めるの早すぎ。子供の将来を考えたら、そこで無理にでもやらせるのが昭和の情操教育というもんでしょ。どんな才能が開花したかも知れんのに、まったくもう(^^;)

 このような経緯により、歌うことは大好きながら、ピアノをはじめ楽器にはほとんど縁のない人生を歩んできました。ただ、青春時代には多聞に漏れず、ギターだけはジャカジャカやってましたが。

 ともあれ、そんなわけでオルガンといえば学校にあるピアノの代替品というイメージやったところ後年、ホンマもんのオルガンは教会やなんかにある超スケールのデカい楽器ということを知ったわけです。

img026.jpg バッハやヘンデルのオルガン曲もたくさん聴きましたが、いちばん印象強かったのが、サン=サーンスの有名な交響曲第3番「オルガン付」。オルガンの曲というわけではないのですが、シンフォニーでありながらオルガンが主役を張っています。学生時代、NHK・FMで初めてこの曲を聴いたとき、その迫力に度肝を抜かれ好きな曲のひとつとなりました。その後多くの指揮者、オーケストラの「オルガン付」を聴きましたが、一番最初に聞いたカラヤン盤がダントツに感動的です。最初に聴いたことで「この曲はこういう曲である」という摺込み現象も起こっているのでしょうけどね。

 この曲に限らず、カラヤンの演奏は何といっても分かりやすい。明快です。曲の「ここを聴け」というところを最も前面に押し出してきます。オルガン付の最大の聴きどころ、魅力は、第3楽章冒頭で満を持して突然オルガンの大音響が鳴り響くところですが、いちばん肝心なこの場面の迫力が他の盤と圧倒的に違います。クラシック音楽に詳しい人やなんかは、カラヤンの音楽は「素人受け」を狙いすぎるなんて言いますが、私は好きです。ひねくれた理論や解説は評論家にまかせておきましょう。われわれ素人はやっぱり理屈抜きで素直に感動できることが大事やと思います。

 音大に勤める知り合いからたまに、学生さんたちの発表会に招待されることがあります。発表会といっても音大生ですからまあ、プロのコンサートと遜色ありません。そのひとつで演目がかの「オルガン付」のときに出かけたことがありました。会場のザ・シンフォニーホールは本格的なパイプオルガンが設置されていることがひとつの売りになってます。これは、ぜひとも行かねばならないとイソイソと出かけたのですが、期待していたオルガンの響きが何とも貧弱で期待外れでした。生演奏の迫力をもってしても、いや、生演奏であればこそこれが限界かと感じた次第です。

 やはり生まれて初めて聴いたカラヤン指揮、コシュローのオルガン、これを超える「オルガン付」を未だ知りません。

ススキ野原は銀の色

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 昨日、壁のカレンダーを1枚捲り取ると、もう残り2枚しかないやないですか。1年が過ぎていく加速度をさらに感じた11月のスタートです。

 先日の週末、久しぶりのハイキング、山に登ってきました。

 倶留尊山(くろそやま)という、奈良と三重の県境にある山です。標高1,037mあるものの、登山口の曽爾高原がそも標高高いので登頂そんなにに苦労しません。わたしでもさほど苦しまずに登れました。

 曽爾高原はススキの平原として有名なスポットで、近くに温泉などあり、日帰りハイキングにはもってこいの行楽地です。森林とはまた違ったかたちの自然の姿を堪能できる景勝地で、国立曽爾青少年自然の家とゆう国の施設があるのも肯けます。

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 実は、高校入学してすぐの頃、まさにこの自然の家で学校のイベント、林間合宿があったのを覚えています。もう35・6年も昔のことですが、キャンプファイアーやって、ロウソクのともしびを宿泊室まで持って帰ったこと、夜中まで騒いだこと、そのせいで翌朝の集合時に寝不足のクラスメイトがぶっ倒れたこと、鮮明に覚えてます。それから確か2、3回訪れたことがあったのですが、いずれもススキ野原を散歩しただけで、そこから山に登ったのは今回が初めの挑戦でした。

PA255161.jpg 「亀の湯」という温泉施設の駐車場に車を停めて、さあ出発。歩き始めて自然の家まで約20分ほど登ったでしょうか。林間学校に来ていると思しき小学生たちがドドドと大挙して山道を走り下りてきます。何人かに体当たりされました。これはたまらん。都会から来たのでしょうね。街中と同じようなつもりで走りまわってるととんでもない大ケガするぞ。先生、しっかり引率頼みますよ。

 自然の家からススキ原に入ります。最近の観光スポットは陽が落ちてからライトアップしたり行燈を灯したりで黄昏ムードを演出するところが増えてますが、ここも例にもれず道に沿って灯篭がたくさん並んでる立ってる。夕陽を浴びる時間帯がいちばんのオススメらしいけど、今日は夕刻に用があってそんなにユックリしてられない。温泉に浸かってとっとと帰るつもりなので、残念ながらここで夕陽は拝めません。IMG_3046.jpg

 

 ススキ原までくるとハイカーが増えてきました。ススキの中を峠に向かう一本道、連なって粛々と登っていきます。遠く稜線が朝の光を浴びて銀色にキラキラと輝いてます。風に揺れる穂先を眺めつつ、周りの人たちのペースに合わせてユックリと登り、稜線まで辿りつきました。

 不思議な山です。稜線から眺めると、登って来た曽爾高原側は一本の樹木もなく見渡す限りのススキの原っぱ。反対側は樹木繁る普通のお山です。自然というよりは管理された公園というべきか。何にせよこれだけ見事な眺めを他に知りません。しかし、帰りに山焼きしてた地元の人に聞いたのですが、近年何故かススキの勢いがずいぶんと弱ってきたとのこと。たしかに以前来たときはもっと密生して繁っていたような気がします。

 ススキ原の中にお亀池という池があります。池といいながら水はほとんどなくて湿原のようになってます。流れ込む川がなく周りに降った雨が溜まるだけなので、水を湛えるに至らないのです。

 たどり着いた稜線からがいよいよ登山の始まりです。途中管理小屋で入山料500円也を支払い、20分ほど登ってひとまずのピーク「二本ボソ」にとうちゃく。ここから一旦谷に向かって下り、目指す倶留尊山に登っていくのです。谷をはさんでそびえる倶留尊山 紅葉がきれい。

 急峻な岩肌の道のわきに張られたロープを手繰りながらゆっくりと下りて登って、二本ボソから約40分ほどで山頂に着きました。お天気がよく素晴らしい景観が拡がります。久しぶりの感慨、来てよかった。

PA255171.jpg ちょうどお昼の時間、コンビニ弁当を食べ30分ほどゆっくりと休憩して下山しました。山頂で食べるお弁当はなぜにこれほど美味いのか。ちなみに、ビールは甲子園球場で飲むのがいちばん美味しい。

 お亀の湯に浸かって汗を流します。泉質がヌルヌルしていて、何とも温泉ぽいお湯です。まるでニコゴリに浸かっているかのよな感覚を味わいます。ニコゴリに浸かったことなんてないけど。

 久々に長時間山歩きをして、心地よい一日でした。やっぱり自然の中に身を置くのは、何とも良い。季節が進み、どんどん寒くなっていきますがこれからもどんどん機会をつくって出かけることとしましょう。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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