2014年7月アーカイブ

猛暑と不審物

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CT077.jpg 先週、梅雨明けはまだ先かなどと書いた次の日に近畿・東海が梅雨明けし、本格的な夏がやってきました。と同時に猛烈な暑さが日本に襲いかかってます。夏の主役、太平洋高気圧の勢力が強く、列島の上をこんもりと覆った暑い空気の逃げ場がない状態なんやとか。おとといは気象庁の観測地点の4分の1が猛暑日(35℃以上)、岐阜県の多治見でなんと39.3度。体温より気温の方が高いということはつまり、ただ立ってるより誰かと抱き合ってる方が涼しいわけで、明らかに人の道を外れた異常事態です。まだ7月ですよ。やっぱり、地球がどうにかなってしまってるのではと不安になってきます。

 セミもいよいよ本格的に絶叫をはじめました。先週は仕事で上京したのですが、都心の公園や大学キャンパスなどではやはりセミの声が響きます。東京ではまだ、懐かしいミンミンゼミの鳴声が聞こえますが、いずれ大阪のように西から勢力を拡大し続けるクマゼミに制圧されてしまうのでしょうか。IMG_0666.jpg

 さて、ネットのニュースを眺めてると「近鉄電車で不審物」なんて記事の配信があったので、思い出しました。

 先週半ば、いつものように新大阪から広島に向かう新幹線車中のこと。

 お陽様を避けていつも山側の窓側の席をとるのですが、新大阪から乗り込んだところ、隣の通路側の席にカバンと紙製の手提げバックが置かれてます。「はて?」

 誰か、トイレでも行ってるんやろと思てたところ、神戸過ぎても明石過ぎても帰って来ない。

 大修理の覆い屋が取れて姿を現した姫路城、またえらく真っ白けになってしもたなあとか眺めながら、どうも隣の席のカバンが気になりだした。

 目の前の座席背中には注意書き「持ち主の分からない荷物=不審物は車掌にお知らせを…」もしこのカバンに爆弾が入ってたら、近い将来私の身体は間違いなくコッパ微塵です。

 とうとう通りがかった車掌さんに事情話したところ「分かりました。もうしばらく様子見ましょう」

 行っちゃいました。「オイ(^^;)」おまえは水戸黄門か。様子見てるうちに爆発したらどうすんのよ?

 しかし、すぐに戻って来ました。若い男性が一緒です。その人が「ご心配かけてスミマセン。」などと言ってる。どうやら、この人の荷物やったらしい。一安心。

 ところが、またどっか行っちゃった彼、私が広島で降りるまで戻ってきませんでした。いくら日本国内とはいえ、これでは不用心やし。彼はいったいどこに居て何をしてたのでしょう。車掌さんは、どやって持ち主を見つけたのでしょう。ミステリー列車での謎は深まっていきました。

 先週は重要な会議やイベントが集中し、出張も重なり、さらに爆発物の心労もありで、昨日までちょっとしんどい日々が続きました。したがって本日は例によって休養日としたいところですが、奥さんは「ゴルフのお稽古はいいの?」などと茶化してくれてます。そう夏のあいだはコンペも重なっており、これが要注意です。今さらスコアを上げるなどという大それた考えは持ち合わせませんが、炎天下のラウンド果たしてホールアウトまで持つか?という切実な問題があります。身体を暑さに慣らす準備としての屋外での活動は確かに必要となってます。

 さて、出かけるか、どうするか。

くちブラスバンド

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IMG_9522.jpg 昨日の朝、ベランダに出てみると朝顔ネットに蜻蛉が1匹とまってました。疲れてるのか、傍によっても逃げません。我が家はマンションの7階ではありますが、たまにこうやって小さな訪問者があります。蝶やトンボは頻繁に来るし、新居を求めてつがいのハトやスズメが飛来して「ここなんかどやろ?」とか話し合ってることもあります。丁重に断わってお引き取り願ってます。だいぶ以前、手すりにアマガエルがいたこともあります。地上から上って来たとするとまあ大変な労力です。

 変わったところでは書斎で机に向かってるとき、読んでる本の上に突然螻蛄(オケラ)が落ちてきたことがあります。普段は地中にいるはずのオケラが、何らかの事情で7階の高さまで飛んできて、わが家のエアコンの室外機からダクトをつたって侵入し、室内機の隙間から顔を出したところ不覚にも手を(足か)滑らして落下したものと思われます。このオケラ君、いったい我が家に侵入して何がしたかったのか未だに謎なんですが、あえなく御用となり強制退去処分となりました。無心に活字を追っているとき、こどもの頃以来およそ数十年見てなかった物体が突然目の前に出現したあの衝撃。人生の中でも驚いたこと上位ランキングの事件でした。さいわいなことに、越してきて以来ゴキブリにはまったく遭遇していません。P9194822.jpg

 さて、トンボは来たしそろそろセミも鳴きだしたけど、今年の梅雨明けは平年よりやや遅れているらしい。前線の雲はいまだ列島付近を上がったり下がったりしてます。すかっとした青空と灼熱の太陽、本格的な夏のスタートはまだしばらく先ではありますが、球児たちの熱い夏はすでに始まっています。昨日、高校野球大阪大会わが学園の初戦応援、南港中央公園球場に行ってきました。雨降るかもの予報でしたが、好天に恵まれて折りたたみ雨傘は日傘として役立ちました。

 結果は、なんと6回コールド負け。相手チームとそんなに実力差を感じなかったのに、トーナメント一発勝負のこわさですねー。初回立ち上がり、浮足立った投手が四死球連発でランナーためたところにガツン!大量失点で勝負ありでした。

 この日のために練習続けてきた生徒諸君、なんともかわいそうですが勝負は時の運。負けちゃった今はつらいけど、結果よりもここに至るプロセスこそ意義があるんやで。そう実感できるまでにはもうしばらくかかるけど、素晴らしき青春の勲章と誇れる日が必ず訪れます。これまでの、これからの君たちの奮闘に拍手。

P9194821.jpg ところで以前も書いた気がしますが、高校野球大阪地区大会の応援は鳴り物が禁止されているようです。吹奏楽のブカブカ、ドンドンがありません。故郷奈良県の予選はOKなんで、奈良球児の聖地、佐藤薬品スタジアムがある橿原の杜では大会中、歓声とともにラッパと太鼓の音が響きわたるのですが、大阪ではそれがないのが実に寂しい。

 で、応援どうやるかというとスタンドで応援の野球部員たちが、ほんらいトランペットやトロンボンが奏でるべき応援メロディーを、口三味線で歌うのです。「アフリカン」や「パラダイス銀河」、阪神タイガースのチャンスマーチなど、定番の応援メロディー、これらはブラスで鳴らしてこそ値打ちあるのに歌声だけでやるのはちょっとどうよと、応援に行くたび思ってました。しかし、何回も聞いてるうちになかなかそれらしく聞こえてくるから妙なもんです。慣れというのは恐ろしい。これはこれでひとつの文化となりつつあるのです。

今年の京文化

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 今日は朝から雨模様。と思ってぼぉ~っと空見てるとどしゃぁっと降ってきました。出かけずに完全休養日とし、昨日の余韻に浸ることといたします。

 また、祇園で遊んできたわけです。P712475A.jpg

 もはや恒例となってしまった高校時代のクラス会ですが、今回も京都ゆかりの幹事氏の尽力により一日楽しいひとときを過ごしてまいりました。

 今回の舞台は東山真葛ヶ原の老舗料亭「菊乃井」さん。そう、今年もミシュラン三ツ星、世界最高峰のお料理をいただくこととなりました。

 大正初期に建てられたそのままという建物の鴬張りの廊下は、過ぎた時間を主張するごとく艶やかに輝き、それだけで重厚な歴史を感じさせます。たどりついたお座敷も実によい雰囲気。弥が上に膨らむ期待。

 開宴後は例によって近況と想い出話にひととき花を咲かせたのちに、芸舞妓さんたちのご入来となりました。今回はこの「舞妓さん目当て」の参加者もいたところ、なんとこれも幹事氏の計らいで昨年の集いで一気にわれらのアイドルとなった「実佳子さん」登場に一同の興奮はピークに。

 女性陣からは悲鳴があがり、男どもの鼻の下は伸び切ってしまってます。お久しぶりです。1年ぶりの再会に実佳子さんもうれしそう。彼女この1年間という短い月日で落ち着きと貫録が増し品格が滲んできました。たしかまだ10代半ばですよ。厳しい修行の成果が見て取れます。昨年の熊魚菴たん熊の際にはなかった京舞の披露もありで、時間を忘れて大いに盛り上がりました。

 発売中の「婦人画報」が京都を特集しており、なんと実佳子さん「祇園の華―舞妓さん―」の記事で密着取材されているのです。これもタイムリーな話題となりました。

P7124719.jpg 彼のセッティングによる京文化研修会ももう何回目になるかなぁ。「祇園」は世界中京都以外のどこにもない、かの大石内蔵助と一力亭のエピソードに象徴されるように元禄の頃にはすでにその伝統を確立し、幕末の大動乱期には新撰組浪士や坂本竜馬をはじめとする勤王の志士らのド派手なスペクタクルの舞台ともなりました。素晴らしきわが国の文化の中にあっても異彩を放つ奥深き京文化の金字塔です。

 これまでにも繰り返し書いてきたように、わたしは現在大阪府民ですがその魂は生粋の奈良県の土人で、今でもふるさと奈良・吉野リスペクトの心情と信条は揺るぎもしません。奈良と京都、比べる必要もないのですが、もしその魅力を比べるならば圧倒的に奈良の勝ちと心底思ってます。しかし、祇園の伝統と風情だけは素直にスゴイと感じます。訪れるたびにそう思えてくるのです。

 今回の集いは同窓生ではありながらほぼ初対面という人あり、遠く四国から参加という人もあり、輪が拡がっている感があって良いです。近々初孫誕生予定、という報告もありました。そいやそんな歳になってきました。いつもながら、仕事に家庭に皆一様にそれぞれの人生を疾走している様子を知ると、人生半分過ぎたけどまだまだ俺らの時代、今がフルスロットルという思いを新たにします。同時に学生時代たった3年間の絆が深く強く刻まれているのをあらためて感じます。いつもいつも思うのですが、クラス会はいいもんです。

センセイたちよ

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 およそ人が仕事をするということは、どんな仕事であっても必ず世の中の役にたっています。もちろん犯罪などの反社会的行為は論外ですが。中でも政治家は、国のため地域のために直接つくすことを仕事として収入を得ます。私利を捨て公けのために働く、立派なお仕事です。だからこそ国民、住民は、彼らから何らのサービスや商品の提供を受けるわけでもないのに、彼らの給料の一部を文句も言わず負担しています。nounai2.jpg

 しかしながら、ちょくちょくとんでもない議員のことが話題になります。最近では政務調査費の使い込みがバレそうになったんで、まったくわけの分からない号泣記者会見でごまかそうとしてかえって世界中の笑い者になってしまったバカ。こんな輩は、自分の仕事を理解していません。選良としての使命感が欠落しているのです。兵庫県民の皆さん、お気の毒です。あなたたちが選んだ議員サマですよ(^^)

 思うに議員という仕事は、国や地域が今後将来に向けていかにあるべきかということをしっかり考えてほしいもんです。それが最も大事な仕事やと思うのやけど、近年の議員先生たちは、いかに選挙区や選出母体の都合のいいように政治を動かすか、いかに多くの予算を選出地盤や支持団体に引っ張るかが最も大事な仕事となっています。これでは天下国家を語るという政治家本来の仕事はなかなかでけへんなぁと思うのです。

 思い起こすのは明治維新を駆け抜けた志士たちの仕事です。彼らの多くは本当に国の将来を憂いて私欲を捨てて動いた。中には自らの栄達を望んだ場合もあったけれど、少なくとも公けのために尽くし名を残しました。そのおかげで今日わが国は、いろんな多くの問題を抱えながらも坂の上の雲に手が届くほどの発展を見ました。号泣会見の恥知らずなんかは論外として、政治家というからには金と欲を満たすのみでなく、「日本の将来はどうあるべきか、国民、市民のために何をすべきか」をほんの少しでもその意識の片隅に置いてほしいもんです。

 司馬遼太郎が好きで、たいがいの作品は読んでいます。

 どの作品もそれぞれに素晴らしく、作者の確固たる歴史観に支えられた時代の情景が圧倒的な迫力で迫ってきます。いったいどれだけの調査と研究を尽くせば、これほどまでの仕事ができるのか。この世に生を受けたからにはライフワークのかたちを後世に残したいと願うのは人の常であったとしても、こんなスケールで人々に感動を与え、支持されてきた人を他に知りません。

 膨大な司馬ワールドのうちからベストスリーを選ぶとすれば、

 『竜馬がゆく』
 『坂の上の雲』
 『翔ぶが如く』

 あくまで「私なりに」の思いですが、これは多くの人の賛意を得られる自信があります。

shiba1.jpg 「竜馬がゆく」はとにかく痛快。難解な文章を用いない司馬作品の中でも軽くて読みやすく、漫画雑誌を読むようにトットコ読み進められる。そして読み終わると皆一様に「よおし、俺も竜馬みたいになるどーー!」最初にこれを読んでしまうともう司馬遼さんのとりこになってしまいます。若いころのわたしがそうでした。こどもたちに読書の面白さを摺込むのにももってこいの傑作やと思います。そもそも日本人は坂本龍馬が大好きですが、その人気はこの作品が世に出たことが大きく影響してるんやないでしょか。

 「坂の上の雲」「翔ぶが如く」はともに、日本という国と日本人がその悠久の歴史の中でもっとも劇的に変化を遂げた激動の明治という時代にあって、近代国家を形作った人たちが国の中枢において何をしてきたかを描きます。綿密な調査と鋭い分析によって重厚に裏打ちされた物語がドラマチックに展開し、今日の我が国が国家としての体をなしているのは、志高き有為の志士たちがいたればこそであるということをあらためて教えてくれます。

 さらに登場人物の行動を通して、日本人が日本人であることの意味、日本人でいられる理由、志とはなにか、人は一生のうちに何をなすべきかなど、多くの示唆を与えてくれます。

 「日本人は全員読むべきである」なんて言うと何かの教祖様みたいで怒られそうですが、将来を担って立つ若者たちには、本当に読んでほしいと思います。

 昭和になって日本は、侵略戦争という過ちを犯して悪者になってしまいました。そのことは真摯に反省し二度と繰り返さないことは肝に銘じる必要があります。しかし、過ちを後悔し自らを卑下するがゆえに、日本人としてのアイデンティティを喪失することがあってはなりません。国際社会において信頼を築き上げ世界の平和に寄与していくために、また、自由と民主主義、基本的人権といった人類普遍の価値を尊重する強くて優しい国と国民であるためには、まず自らがそれに適う力があるという自覚が必要です。

 司馬遼太郎の作品は、日本人にその自覚と勇気を与えてくれる、現代の良薬やと思います。

 やっぱり、中学生高校生必読の書としてもらうわけには、いかんもんでしょか (^^)

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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