2014年5月アーカイブ

IMG_2360.jpg 「こゝろノート」届きました。新聞屋さんが夕刊といっしょに3冊持ってきてくれました。わーい。

 A4横版40ページ。縦罫26行。

 「使い方」その2、連載中の「こゝろ」を書き写してみる。→1日分がとても1ページに収まりませんし、そんな時間はまずありません。

 「使い方」その3、連載中の「こゝろ」の感想を書いてみる。→なかなかそそられますが、そこまでの思い入れはありません。

 「使い方」その4、連載中の「こゝろ」にふさわしい、さし絵を考えて描いてみる。→絵ごころがありません。

 「使い方」その5、苦悩など胸の内を記し、自分だけの「こゝろ」を創作する。→なかなかそそられますが、おかげさまで大した苦悩もなく日々を送っています。日記など記すと心象回廊に書くことがなくなってしまいます。当分こっちの方でと思ってます。

 したがって「使い方」その1、連載中の「こゝろ」を切り抜いて1ページずつ貼る、ということにします。ていうか、初めからそのつもりでした(^^)。IMG_2358.jpg

 1ページ目は「使い方」が書いてあるので、使えるのは39ページ。「こゝろ」の連載が全110回と聞いてるのでちょうど収まる。太っ腹3冊の意味がわかりました。朝日新聞なかなかやるやん。

 さて、昨日のこと。いいお天気の休日やったのですが、朝寝坊したので遠くまで出かけるには少し遅い。で、また近くの飯盛山に登ってきました。来月のあたまには職場の健康診断もあるので、ムダな抵抗とは思いつつも多少は運動不足を解消しておこうという思惑もこれあり、散歩の延長ということでてくてくと歩き始めました。

 この街に越してきてから約20年になりますが、爾来、飯盛山何回登ったやろ?出発から帰宅まで3時間とちょっと。裏山感覚で、歩きたいけど行先のあてがないというときのお手軽ハイキングのパターンです。

P5244645.jpg 近くといっても山は山。日頃あまり運動しない、鈍ったカラダにはちょうどよい喝となります。

 もう通いなれた、いつもの急坂道をひたすらのぼり、あっという間に頂上にとうちゃく。反対側に降りて最寄り2駅となりの駅から電車に乗って帰ってくるのもいつもどおりです。

 途中、野外活動センターという施設を通ります。池には大きなスイレンがたくさん咲いてました。スイレンといえば水面にプカッと浮かんでるイメージがあるのですが、ここのんは花も葉もまるでハスのように水上高く突き出てます。栄養が行き届いてるのか、単に池が浅いからなのか。小さなカメが1匹葉の間から顔を出し、哲学的な面持ちでこちらを睨んでいます。

 山頂から見はるかす大阪平野の眺め。何度も登ってるうちに当然ながら少しずつ変わっていってます。一番目立つのは北東からななめ一直線に延々と伸びる第二京阪高速道路。初めて登った頃にはありませんでした。片側3車線オール高架、超ハイ規格の近代的ハイウェイです。できた当時はガラガラで、たまに走ったときは「こんな道路、造ったらあかんやろ」とか思ったもんですが、出来てから最寄り駅駅前交差点の交通量がかなり減りました。それなりに経済効果があるのでしょう。P5244614.jpg

 アベノミクス以来建築業界も上向きとか。梅田都心に林立するビル影もだんだんと増えてきましたが、何といっても目につくのは阿倍野ハルカスです。我が家のベランダからもよく見えますが、高所から眺めるとその高さが際立ってます。「数時間待ち」にウンザリして、まだ展望フロアには登ったことがありません。空いてきたらと思いながら果たせずにいます。
 

 漱石が「こころ」書いてから100年。長いようですが、人類の歴史からみるとほんの一瞬にすぎません。この間に戦争あり大災害あり、まさに歴史を凝縮したような時代を日本人は生きてきて今日の繁栄の中にあります。今日の朝刊には北陸新幹線の長野・金沢間のレール、最後のボルトを締めるセレモニーのことが載ってました。どんどん夢を実現していく一方でまた、原発事故や台頭した近隣国からの執拗な挑発など過去未経験の事態も次々生じています。

 次第に人口が減っていく次の100年、果たして日本はどんな国になっていくのでしょうか。リニア新幹線が縦横に行き交う未来社会はいいけれど、願わくば強さと優しさをともに備えた日本人固有の「こころ」は無くさずにいてほしいと思います。

連載のココロ

| コメント(0) | トラックバック(0)

img005.jpg 先月から朝日新聞で夏目漱石の「こころ」が連載されてます。朝日の社員やった漱石が大正時代に書いた際のスタイルのまま、今によみがえっているのです。

 漱石の作品は「三四郎」「それから」「虞美人草」「行人」など朝日新聞に連載されたものが多いのですが、「こころ」もそのひとつで、漱石の代表作のひとつとして今に読み継がれている名作です。我が家にある「こころ」は偕成社という出版社の少年文学全集のもので、小中学校の図書室にズラッと並んでるタイプのハードカバー本です。自分で買ったのか、それ以前からうちにあったものか入手の経緯は覚えてませんが、なんしか読んだのは中学生のときでした。

 「小中学生向け」のシリーズということで難語の注釈も子供向けになってますが、果たして「こころ」を小学生が読めるものかどうか、いささか疑問ではあります。少なくともわたしの場合は、中学生やったけどおもしろかったとか感動したとか、なるほどと得心したということはなかった。

 「〈上〉先生と私」「〈中〉両親と私」ときて「〈下〉先生と遺書」は「先生」が「私」に郵送した手紙という設定ですが、こんな長大な文章、封筒で送れるわけないやんか、原稿用紙に書いたとしたら段ボールに入れてクロネコ呼ばないと無理やろ、漱石さんたのんまっせ、と物語とはおよそ関係のないところでひとり突っ込んだことは覚えています。

 高校時代に現代国語で再会して読み直し、なるほどそういうことかと多少納得したような次第です。この現国の先生、なんだか教材に関係ない(しょーーもない)ことをツラツラ喋ってるうちに時間終わってしまうことが多く、クラスのキレた誰かが「先生、結局この部分の主題は何なのですか?」なんて質問しようもんなら、「そんなことは今までの話の中で自分で感じろ」なんていう、とんでもない教師でした。

img006.jpg 話それました。「こころ」です。今あらためて読み返してみると、「先生」やその友人「K」はなぜ死んだのやと思う?という漱石の設題に対して、最初に読んだときとは違った解が浮かんできます。文学作品は何回か読み直してみるのもいいもんです。それもかなりの年月を隔てた方が、違った見方をする自分に気づきます。これは文学に限らず、たとえば映画や音楽にもいえると思います。歳とった分いろんなものが身についてきたということでしょう。

 主題に関係ないといえば、大学を無事卒業した「私」と「先生」とのやりとりの中に「まだ卒業もしていないうちから教師の口を探すような友人もいる」というくだりがあります。当時、大学への進学率は1%未満、超高等教育機関です。現代の18歳人口120万人、東大・京大の入学定員がそれぞれ約3,000人として、あわせて全国の同学年の約0.5%ですから、当時の1%の学士様がそれに匹敵する超エリートレベルやったというのも納得です。社会から引く手あまたで、大学さえ出ればやりたいことはそれこそ何でもできたでしょう。100年後のこんにち、2人に1人が大学に進学する時代となりました。天上の漱石先生、はたしてどう思ってみているでしょうか。

 さて、今回の朝日新聞の企画は、「名高い文豪、夏目漱石はわが社の人間やったんやぞ、すごいやろ。名作をもう一度読ませてやるからありがたく思え」という匂いがプンプンしてなんとも鼻持ちならない。「天声人語書き写しノート」なるものを売っている朝日のこと、ひょっとして…と思ったら案の定、もうすぐ連載のスクラップ帳にも使える、その名も「こゝろノート」を配布するのやとか。まったく呆れた話です。読ませてやるのみならず切り取って保存させてやるのやから、いや増してありがたく思えと。まあ、ずいぶんと上からくるやないですか。

img004.jpg これは是非とも手に入れてスクラップを完成させなければなりません。わたしは、大新聞の傲慢な態度に反駁する気持ちはあれど、それを凌駕するミーハー精神を持ち合わせているのです。連載の切り抜きはもれなくとってあります。せっかくの機会を逃す手はありません。企画に乗って楽しませてもらうこととしましょう。さっそく販売店に電話して注文しました。早く届かないかなぁ(^^:)

 ところでこの「こころ」、毎回冒頭に「心」をデザインした四角いロゴが載ってますが、副題のようなかたちで「先生の遺書(○○)」とタイトルがつけられてます(○○は連載回数)。漱石は当初この小説を「こころ」という短編集の最初の巻とするつもりで、「先生の遺書」というタイトルで書き始めたそうです。それが思いのほか筆がノッた結果、長編になってしもたらしい。したがって連載当時は「先生の遺書」やけど、連載終わって出版される際には「こころ」に変身したということやそうです。何とも計画性のない話。けど、小説家の仕事なんて、特に連載の場合は今でもそんなもんなのかも知れません。

 朝日の連載小説といえば、同じく先月、宮部みゆきの「荒神」が終わっちゃいました。わたしはどっちかというと一気読みしたい方で、毎日少しずつ読んでいくのは苦手で、連載を始めから終わりまで読み切ったなんてことはほとんどありません。しかし、好きな作家さんということと、たまたま連載の開始に気が付いたということから、今回は毎朝かかさず読み続け、1年とちょっとでコンプリートしました。

 宮部得意の時代小説と、同じく得意分野のファンタジーを合わせた内容です。ウルトラマンシリーズよろしく怪獣なんか出てくるもんやからどうなることかと思いながら読んでいきましたが、最後には宮部らしい爽やかな感動とともに収束していきました。やっぱりうまいもんです。

 仕事の都合で2・3日飛んでしまったりといった危機も乗り越え、途中で登場人物がわからなくなったりもしましたが、単行本にはない連載の楽しみ方を思ったしだいです。

 今は夕刊で今野敏の「精鋭」という連載を読み続けてます。この作家さんは重厚な警察小説を得意としているらしいのですが、私はあまり知りません。今度の連載も予備知識まったくなしで読み始めましたが、どうやら警察ものぽいです。風呂上りにビール飲みながら読むのが日課になってます。しばらく楽しませてもらいましょう。

石楠花の寺

| コメント(0) | トラックバック(0)

 室生寺に行ってきました。P5034527.jpg

 奈良の個性ゆたかな多くのお寺の中でも、「女人高野」のふたつ名とともにホンワカした印象があって超有名なお寺ですが、例によってまだ行ったことなかった。行きたい、行きたいと思っているうちに五重塔が台風で損壊したのが6年前。修繕が終わって、さあ行こう行こうと思いつつ月日は流れ、やっと今回念願叶ってお参りできたのです。

 奈良の多くのお寺とは違って、奈良盆地から東に遠く離れた山の中にあります。最寄駅は近鉄大阪線の室生口大野。バスも出てますがハイキングルートがあり、一部は東海自然歩道になってます。せっかくやから歩くこととにしましょう。GWの最中でしたが、時間が早いことから周囲にハイカーの姿はまったく無し。

P5034548.jpg 駅から歩き始めて、駅名にもある大野寺という古刹の前を過ぎると室生川沿いの道になります。対岸の山の岩壁に「大野寺磨崖仏」が彫られています。

 このあたり道路工事中で、ガードマンのおじさん「今日は天気ようて、ええですな~」そのとおり、まさに森林浴日和。

 国道の橋を渡ってしばらく行くと「東海自然歩道入口」の看板が。ここからは山道に入り門森峠という峠までひたすら古道を登っていきます。ところがこの道、歩きにくい。大きな石がゴロゴロ転がっててちょっと気を抜くと浮石を踏んで足首をひねってしまいそう。ところどころ石畳になっているのですが、それはそれで落葉が湿ってると滑ってしまいそう。

P5034563.jpg なんとも歩きにくい道をひーひーと登りきり、峠を越えるとまた急な下り道、石がごろごろ、滑る!文句をタラタラと言いながら2時間くらい歩き続けてなんとか山道を抜け、室生の里に辿りつき目指す室生寺が見えてきました。

 ここまでくるとバスで上ってきた人たちも多くいて、まだ午前中ですがしっかりと休日の観光地の様相を呈してます。

 太鼓橋を渡っていよいよ室生寺の境内へと進みます。拝観料600円ですが前の人に倣ってJAFの会員証見せると100円負けてくれました。帰ってから調べてみると、なんと奈良県内のお寺はJAFの優待効くところがたくさんあります。円成寺や元興寺など、これまでに参ったことあるお寺も含まれてるやないですか。これはしまった。無知なるがゆえこれまでに大損をしていたことに気づきました。(--;)

 境内に入るといたるところに石楠花(シャクナゲ)が咲いています。あちこちで多くの人が三脚を据えて大きなカメラで撮影してます。そおいえば室生寺は奈良検定のテキストの「花の寺」の項で石楠花の寺と載ってました。気づかずに来たのですが石楠花はこの時期満開やそうで、確かに見事な眺めでした。無知なるがゆえに、想定外の感動の風景を楽しめました。

 P5034567.jpg大きな石段をゆっくりと登っていくとシンボルの五重塔が現れました。西暦800年頃創建といいますから奈良時代から平安のはじめ頃で、今に残る五重塔としては法隆寺のんに次いで古いそうです。知らんかった。文句なしの国宝。高さ16mは法隆寺の半分、興福寺の1/3というちんまりした姿。淡い彩色が周囲の杉木立の中に映えて、とってもきれい。また、石段から見上げる塔に石楠花の花がなんとよく似合うことか。梅にウグイス竹にトラ、富士には月見草、長谷寺に牡丹、蔵王堂は千本桜、大仏殿にはシカ。(^^)

 拝観終えてすこし早めの昼食は、太鼓橋のたもとの「橋本屋」さんで山菜とろろ蕎麦をいただきました。これは美味しかった。ヤマイモのとろろが逆さにしても落ちないくらい濃厚で、蕎麦つゆに入れるとプカプカ浮いてしまうので、つゆの方をとろろのスリバチに入れるように言われました。なるほど。

 室生口大野駅までバスに乗って大阪へと戻ったのですが、さすがにGW期間中、電車は予想外の満員でずっと立ったままでした。1時間歩くより、同じ時間電車で立っているほうが疲れるのはなぜでしょうか。ともあれ、好天に恵まれ永年の宿願のひとつを果たすことができた、初夏のうららかな一日でした。

寄らば楠の蔭

| コメント(0) | トラックバック(0)

 職場に隣接する城北公園には、大きなクスノキがたくさん植わってて、この時期、舗道に大量に落ち葉を降り積もらせています。落葉樹が秋に紅葉を経て葉を落とすのに対して、常緑樹のクスノキは晩春から初夏に葉を落とすのです。葉の寿命は1年ですが、古い葉を落とすとすぐに新しい葉が生えてきて入れ替わるので落葉樹のように枝に葉のない期間がありません。

 落ち葉を踏みしめながら見上げると、そこは冬木立の枝ではなく柔らかな黄緑色の葉をつけた枝が幾重にも伸び、晩春の陽光に映えています。常磐木落葉(ときわぎおちば)といって、5月の季語にもなっているそうです。秋の情緒では主役を張れる落葉も、桜の花が散り徐々に若葉が茂りはじめるこの時期には気にとめる人とて少ないのに、歳時記はしっかりと季節感を与えてます。昔の人はエライ。

 クスノキは大木になりやすく、全国の巨木ランキングでも大半をクスノキが占めてて、その多くが国や都道府県の天然記念物に指定されてます。日本最大とされている樹も鹿児島県の「蒲生(かもう)の楠」。クスノキです。NAGO.jpg

 学生時代、奈良の実家への帰省の際には名古屋で新幹線と近鉄とを乗り継いでたのですが、名阪特急往復の車窓の眺めでいつも楽しみにしていた巨樹があります。一面田んぼが広がる伊勢平野の中にただ1本悠然と屹立しているさまが走る列車から見えるのです。調べてみると「長太(なご)の大楠」という、やはり有名な巨樹やとわかりました。

 たいがいの巨木は山中や神社の境内やなんかにあって、その周りに多くの木立を従えてるものですが、このクスノキの周りは1本の高木もない。それどこか、まっ平らの田んぼの真ん中で、近くに建物など人工物もないもんやから、近鉄の線路からはおそらく4~500mはあると思いますが、それだけ離れてても実によく見えるのです。

 一度間近で見上げてみたいと思いながら、いまだ果たせずにいます。(写真はgoogle S.V.から拝借)

P4194506.jpg

 ところで、こないだの日曜日、お天気がよかったので久々に奈良を歩いてきました。これまであまり訪れることのなかった近鉄奈良駅の北側に広がるエリア「奈良きたまち」をぶらついてきたのですが、般若寺の近くに神社が一座鎮座しています。奈良検定のテキスト読むまで知らなかったのですが「奈良豆比古神社」という由緒ある神社で、ここに伝わる民俗芸能の「翁舞」は能楽の原典として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 それはさておき、ここのお社の裏に直径数十メートル、スリバチ状に凹んだ大きな窪地があり、そこに1本とてつもない巨木が立っているのです。県の天然記念物に指定されているこの巨樹もクスノキです。樹齢約1000年。根元の幹回り12m以上あり、すぐそばに立って見上げるとその迫力に圧倒されました。

 神社の周囲は閑静な住宅地で、鎮守の森とはいえこんなイビツな地形など通常ならそっこー整地、利用されてたはずですが、いにしえの地形のまま保たれてるのは天然記念物であるこの巨樹のせいやろと思います。

 樹木は地球上最長寿の生命体でしょう。もとは一粒の種子から芽吹いた命がこれほど巨大に成長を遂げる自然の神秘を思います。しかしそのためには人でいえば何世代もの長い長い年月を要します。過去、人の都合でどれほどの樹木が切り倒されてきたことか。いきなり巨木をこしらえることはできないわけで、自然災害はしかたがないとしても、少なくともいま存える名木たちは大事にしていってもらいたいもんです。

 日本最大の巨樹「蒲生の楠」も、いちど見てみたいなあ。九州出張でもあれば、足を延ばそうかと思ってます。

WELCOME

CALENDAR

PROFILE

IMG_0227_2.jpgのサムネール画像のサムネール画像

katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

月別 アーカイブ