2013年7月アーカイブ

蝉 考

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IMG_0706.jpg 一昨日やったか「行ってきま~す」と出かけると、自宅マンションの前で背中をコツンと突かれたのです。

 「?」振り返ると1匹のセミが「ジジジ~」と鳴きながらすぐそばの木立に飛んでいきました。前をよく見ずに飛んでいた粗忽セミに体当たりを喰らわされたわけです。幸いオシッコはかけられなかった様子。

 その樹ははセミにとって居心地が良いらしく、夥しい数のクマゼミが群れています。まぁ、地球上にこれほど騒々しい虫はほかにいないでしょう。その鳴き声たるや、すぐそばで並んでいても話し声が聞きづらいほどの轟音です。最寄り駅への途中にある公園の並木にしても同様です。耳が痛くなるほどの大合唱。

 しかし何故か「うるさい」とは感じません。大音響ではあるけれども、耳をふさぎたいとは思わない。これがクルマの騒音であったり、下手なカラオケ聞かされたときなんかは、神経を逆撫でするような不快感に耐えられなくなるのに。不思議です。

 多分、われわれ人類が地球上に現れたときすでに、セミたちは先達として樹に陣取って鳴き声をあげていたからでしょう。つまり自然の音やからです。滝壺の轟音がさほど気に障らないのと同じ理屈やと勝手に理解しています。

 さらに昨日、仕事の帰り道。職場の隣の城北公園内の舗道歩いてると、前から来るおばさんが騒々しい。手にセミを持って楽しそう。
「捕まえてん♪。わたしに捕まるドンくさいセミやわ~ケラケラ。やろか?」
「結構です(^^;)」
 見ると桜の広場の地面には、いたるところに羽化のとき這い出てきた穴が空いてます。IMG_0114.jpg

 10年近くも地中で育ち、羽化して長くて10日とかいわれてます。実際はも少し長くて1カ月以上飛び回る奴もいるとか。それにしたって一生の大半地中です。子供の頃はよく裏山でセミ採りしたもんですが、思えば可哀想な話でした。そいやアメリカの素数ゼミはきっちり13年か17年で大量発生し、その想像を絶する個体数を種保存のための武器としているとか。真っ暗な地中でいったいどやって正確な年月数えるのでしょうか。大自然の驚異ですよね。

 セミに限らず昆虫たちは本能に従ってのみ動きます。どんなことがあっても遺伝子の設計図に書かれた以外の行動はしません。「決められたとおりの一生なんてまっぴらだ!」などと叫んで仲間とは別行動して旅に出たり、強いモノに戦いを挑んだり、新しい発想を世に問うたりといった冒険はしない、できない。生き方を選択するチャンスがないので悩む必要がない。これまで地上に現れた数え切れないセミの1匹1匹はそれぞれに幸せを満喫して天寿を全うしていったことでしょう。

 かたやわれわれ人間は、行動の選択で悩むことを生命活動の基本に据えており、生き方の幅に臨んで悩むことで、ある種の生き甲斐と幸福を手に入れ一生を送っていきます。日々の行動のひとつひとつが選択の結果です。成功すればいいのですが当然間違うことも多く、その振幅こそが人である所以なのです。セミと違って悩むことができる幸せがあるのやなあと、背中突かれてふと思いました。

 夏の風物詩。青空背景にヒマワリ、BGM蝉の声。

夏の神域

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 所用あって実家を訪れたついでに、吉野山に登ってきました。

 桜の終わった吉野山はいわば完全シーズンオフですが、照りつける太陽の下、樹樹の緑が一層鮮やかなこの時期もなかなかいいものです。大阪と比べるといくぶん涼しく、湿度も低めに感じます。

 吉野川が流れる中央構造線に向かって南から馬の背中状にせり出した吉野山は、古より金峯山(きんぷせん)といわれ、霊山大峰の入り口にして超強力なパワースポットです。また歴史的にも重要な役割を担い、日本史の要所要所で登場してきます。

 今回来たのは、1月に受検予定の奈良検定1級に向けて少しお勉強をという思惑から、奈良県内に4つある水分(みくまり)神社を訪れてみようと思い立ったからです。4つのうちのひとつ吉野水分神社が、ここ吉野山上千本にあるのです。吉野山でも、水分神社から金峰神社がある上千本、さらに奥千本にかけてはまだ行ったことがありません。

P7153777.jpg 近鉄吉野駅前から七曲がりと呼ばれるつづら折りの道を上り切ると、尾根に沿って点在する数多くの寺社をつつみこむように旅館や土産物店、飲食店が軒を連ねています。幼い頃から幾度となく登ってきた馴染み深い街並みです。花見シーズンは大変な人出で、通りを歩いていても満員電車なみの混雑なのですが、この時期はひとかげもまばらで散策にはちょうどいい。吉野山のシンボル、蔵王堂がある金峰山寺に立ち寄ると、若い外国人女性4人のグループがきゃあきゃあ、歓声が境内に響き渡ってます。

 この日は雲が広がっており、ときおり陽が差すかと思うと雨がポツポツ落ちてきてはすぐに止むという妙なお天気。カンカン照りよりはよほどいい感じの日和でした。それでも目的の水分神社までたどりついたころには、頭から水かぶったごとく汗だくになってました。
 
P7153771.jpg 早速境内に入ると右手の山側にお社が鎮座しています。3棟連なったかたちのちょっと変わった造りの堂々たる社殿です。境内の雰囲気が奈良市内など平地にある多くの神社と少し違います。平地の大きな神社は、なんというかデラックスな感じで親しみやすい、そんな感じがします。一方、周囲を深い樹叢で囲まれた山中のこのような神社はどうも近寄りがたいというか、畏れをひときわ感じるのです。
 かの前登志夫先生は著書「吉野紀行」でこの神社のことを次のように記してはります。

 この社殿にいる私をすっかり安らかにさせないのは、社殿の配置と構造にばかりあるのではない。神前の優雅と、アルカイックな破壊力の交錯のせいだと思う。この神域に馴れるには、いつ来ても時間がかかるのだ。私たちの過去にもった最も艶麗な造形が、最も荒々しい風雪と呪縛によって自然に還ってゆくいたいたしい旋律かもしれぬ。

 美しい調べのような見事な文章はともかく、やはり神社は山深くにあればあるほど凄みが増すのです。

 ところで、鳥居のそばの石柱になんと 「24,000円 文部省」 と書かれている。驚いてよく見ると裏面に「大正○○年…」とあって納得。現代ではあり得ないですもんね。
 
 お参り済ませて、近くにある花矢倉展望台で弁当にしました。山全体が一望できます。「ザ・吉野山」という感じのポスターやなんかは、ここからの景観です。おにぎりをぱくつきながら眺めを堪能していると、さっき蔵王堂前にいた外国人ガールズが登ってきました。隣りでお弁当を広げはじめたので、眺めのいい場所を譲って少し話してみると、日本語の先生とその生徒さんたちやとか。
 "How are you ... Where from ?  States ?"
 "Yeah. And we've climbed on foot from the station." "Oh,really !?  Good job ! "
 そんなに息をきらした様子もない。なんと。てっきりバスか車で登ってきたと思ったのに、たいしたもんです。

 ここからさらに上、奥千本にかけては次回の楽しみとして、降るセミの声を浴びながら一気に山を下りました。紅葉の頃、また来ることといたしましょう。

大学フェア

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 3連休中日の今日、梅田のナレッジキャピタルで催された「大学フェア」に出かけました。多くの大学が一堂にブースを連ねて、受験生にアッピールするイベント。

 もちろん、わが家に受験生がいるわけではなく、わが学園のブースを含めて見学に行ったわけです。

 ナレッジキャピタルはオープン以来何度か訪れる機会がありましたが、休日は相変わらず壮絶な人の波です。

 大阪駅のすぐ北側に隣接して超便利ではありますが、立地はさておきこの人の多さに圧倒され、会場にたどり着くまでにかなりの労力を要します。受験生諸君や親御さんたちも大変でしょう、どうもご苦労様です。

 広い会場をうろついてみると、やはり国公立大学の人気が高く、相談の順番を待つ長蛇の列ができています。

 あと、全国から出展しているとはいえやはり開催地優勢で、首都圏の有名大学よりも関西の中堅私学の方が人気があるっぽい。

 かつて国公立大学はこういった催しとは無縁でした。受験生を対象としたサービスなどとは無縁の領域で「受験したければ、させてやる」と君臨していたものですが、いまや独立行政法人化され、国や地方公共団体の直接の庇護から離れ、かつての威光もどこへやら。国からの運営交付金も削減され、自分とこの食い扶持は自分で稼がねばならなくなってしまった。それだけに危機感を募らせてそれこそ私学なみに志願者の獲得競争に挑んでいます。私学との学費の差もかなり縮まってきたし。

 ただ、親方日の丸でなくなったとはいえ、そこはやはり国公立のブランド、人気は今もって絶大です。日本の受験生諸君、「できれば国公立、ダメなら私学」という指向は現在でも変わっていません。

 18歳人口の減少が続く中、多くの私学は知恵を絞って特色を打ち出し、志願者獲得のために果敢にイベントを打っていきます。そこにビジネスチャンスを見いだす受験産業の勢力もこれあり、これらのイベントは年々規模が大きく、派手になっていきます。そして、その裏側では、私学の生き残りをかけた熾烈な権謀術数が繰り広げられているのです。

 それはさておいて、大学の選択は人生を左右する一大事です。受験生諸君、どうかベストマッチのご縁がありますように。

歌は世につれ

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IMG_0942.jpg 先々週、フェスティバルホールでのクラシックのコンサートが仕事都合で行けなかったのに続いて、先週はチケット買ってた甲子園球場でのG戦が雨で流れてしまいました。ついてません。

 その翌日、カード第3戦をテレビ観戦してると友達からメールがきて「テレビ見ながら懐メロ大合唱中」とのこと。たまにオンエアされる「昭和想い出の名曲」の類らしい。この日の阪神=巨人は好ゲームで目が離せなかったもんやから、結局懐メロの番組は観ませんでしたが、実はこの種のプログラム大好きです。

 今でこそいわゆる歌番組は全く観ませんが、「想い出のメロディー」系は、歌番組というよりドキュメンタリータッチで、流行当時の世相も振り返れる構成になっているのがいい。

 昭和の時代、テレビは娯楽の王者でした。歌番組も含めて人気番組は観ておかないと、ともだち同士の話題についていけない。もちろんビデオなんかなくてリアルタイム勝負でしたから、ゴールデンタイムには家族でチャンネル争いしたもんです。

 そんなわけで、現代のオリコンチャートはほとんど分からずあまり興味もありませんが、昭和のヒット曲はほぼ知っているし、歌えるし。メールくれた友人もほぼ同世代なんで(ちょっと下やから、怒られるかも)興味が募る構図は同じやと思います。

 「想い出の曲」は、単にむかし流行った歌謡曲というだけでなく、自分の人生のいち場面を想起させるからいいんですよね。「この曲聴くと、あの日、あの頃を思い出す」というわけです。自分にとって大きな出来事のあったときにたまたま聞こえてきた曲や、人生の転機となった時期に流行っていた曲なんかやと忘れられませんよね。

 そいや、一昨日の夕刊に「ノーランズ」のボーカル、バーニー・ノーランが52歳の若さでガンのため逝去という記事が小さく載ってました。「I'm in the Mood for Dancing」(邦題:ダンシング・シスター)が大ヒットしわが国でブレイクしたのは1980年。わたしはこの年、受験浪人生として日々大阪の天王寺界隈を彷徨していたわけですが、ひたすら受験勉強に勤しみ予備校と図書館と自宅を行き来する街角で毎日聞こえてきたのがバーニーのあの独特の歌声でした。特にファンというわけでもなかったのですが、今でもこの曲を聴くと、人生で最も長く感じたあの1年間の様々な記憶が甦ります。歌のチカラはすごい。

 最近、カラオケで歌う機会はめっきり減りましたが、今でもレパートリーには自信があります。もともと歌うことは大好きで、幼少期から青春時代、もの覚えが今よりずいぶんマシやった頃に、どれほどたくさんの歌を覚えてきたのか見当がつきません。演奏テクニックの有無は関係なく、人間は本能的に音楽を求めるのようにできてるのやと思います。音楽に心癒されながらの日常が続いていきます。
 
 さて、今日は高校野球大阪府予選にわが学園が登場します。よもや1回戦敗退はないと思いますが、今日はお天気よく昨日までよりはいくぶん爽やか。観戦に出かけるとしましょ。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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