2013年4月アーカイブ

実はまだ使えた。

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IMG_0491.jpg 1999年の7月でした。ノストラダムスが予言した恐怖の大王が結局現れなかったこの月に、私は初めて携帯電話を契約しました。爆発的に普及し始めて、「ケータイ」といえば携帯電話機のことという新たな日本語も始まった頃で、持った時期としては人よりも特段早くも遅くもなかったと記憶しています。

 爾来すでに14年、この間にケータイは電話機から通話機能付きの小型PC端末へと進化し、技術の進歩を追いかけるように現代人の生活様式も変わってきました。皆、出かけるときは財布や定期券(今ではICチップの入れ物と化した)忘れても、ケータイだけは絶対に離さない。電車の中を見渡すと10人中7・8人はケータイいじっている。新聞や本を読んでる人はあまりいない。

 かくいう私も、仕事に趣味に生活に欠かせなくなっていますが、最近思うのは「通話が減った」ということです。愛機のiPhone5使う頻度を考えると、メール(LINE含む)が圧倒的に多い。以下写メ、たまにネットで検索(FaceBook含む)という順かな。あ、シーズン中はラジコで阪神戦聴くか(^^)。いずれにしても通話は少なくて週に2・3回あるかな、という程度です。

 さあ、そんな世の中になるにつれて存在感がキハクになっているのが自宅の電話。ケータイの普及とともに、かつてなかった「固定電話」なんて言葉も世に出てきました。最近は家電(イエデン)ともいうそうですが。

 ほとんど使わない。FAXもそう。書類のやりとりはほとんどPDFでパソコンやケータイに電子メールやし、たまに業者からの広告FAXが入るくらい。留守電のメッセージなんてここ数年聞いたことない。

 家族が家内と二人きりということもあるのか、外とのコミュニケーションはまず99%ケータイで済んでしまいます。はたしてイエデンの存在意義は??

 …という状況の中で、わが家の電話機が壊れました。

 きっかけは家内の友人からの「あんたんとこの電話、ヘンくない?」というご指摘でした。繋がらないらしい。鳴ってるけど誰も出ない。留守が多いなあ、と思われてたみたいなので会ったときに話すとどうやらそういうことらしい。試してみると、なるほど発信はできるけど受信ができない。いったいいつからこうなのか??別段何も困らなかったところがおもしろい。

 さて、ここで考えたわけです。この機会にイエデン無くすこともありか?

 結果、たいして熟慮もせず買い換えることにしました。ほとんど使わなくてもやっぱり固定番号もってたほうが社会の一員っぽい気がするし、万一の災害のときも比較的安全ぽいし。
 
 ところが、ヨドバシで「おたっくす」の最新機種買ってきて設置したところ、なんと、やっぱり受信が鳴らない。そう、電話機の故障ではなかったのです。ネット機器配線の接触不良だったようで、いじくってるうちに直りました。とんだ早とちりやったわけですが、元の電話機は古くて給紙の部品壊れてて爪楊枝挿して補強してたりで、早晩買い換えの時期やったので、いいとしました。小型でカッコイイのに変わったし。

 ポジティブ・シンキング。

IMG_0487.jpg これは、はっきりと覚えてます。高校に入学したときに塾の先生からお祝いで頂いた品ですから、かれこれ35年以上使い続けてます。

 「塾」といっても、現代のいわゆる学習塾ではなくて、高校の先生が自宅に近所の子どもたちを集めてアルバイトで勉強のめんどうをみるという、アットホームなものでした。月謝もきめられた額があるわけではなく、なにがしかの「謝礼」を渡していました。田舎だったので事業としての学習塾などなく、こんなのを「塾」と称しており、あちこちにいくつかあったように思います。

 そんな塾のひとつで数学を教えてもらってたのですが、おかげさまで志望校に合格することができた際に、お祝いということでその先生にいただいたのがこのシェーファーの万年筆です。ワインカラーの軸で、シェーファーの証、ホワイトドットが付いた、流線型でシンプルなデザイン。細字のペン先がなかば軸と一体化しており、なかなかシャープな感じがします。ブランド名と「MADE IN U.S.A.」の文字が書かれてますが、それ以外は何も表記がないので型式など分かりません。

 買い物にはよく当たりハズレがあります。クルマや家電など耐久消費財は、何十年も変わらず作動し続けるものもあれば、保障期間が切れると同時に故障するのがあったりで、日本の優れた工業技術をもってしても製品の出来にムラが生じるのは避けられないのです。その点、この万年筆、いただいた品ですが「アタリ」でした。

 実にインクの出がいい。長く書き続けても常に一定、変わらないペースでインクがペン先に供給されます。安心して書き続けられる。これまで使ったことのあるいろんな万年筆では、書き続けるにつれて色が薄くなったり、稀に文字がかすれてしまって振らないとインクが出てこなかったり、はなはだしきは軸をあけてコンバータやカートリッジを絞って手動でインクをペン先に送らないとまともに書けない、なんて経験を何度もしました。  その点、このシェーファーは何日も放っておいたときでも、書き始める際に最初の接地からまったくのロスなくインクが出てくる。当たりまえのようでなかなかこうはいきません。ペン先の先の先まで全く乾いていないから可能なわけで、単純やけど高性能やと思います。

 さらに書き心地がいい。ペン先が紙の表面の微細な凹凸に心地よく刺激されてて、ペンを動かすほどにストレスなくいくらでも書き続けられる。

 万年筆はデリケートな筆記具で、メンテナンスを怠ると一定の変わらないペースで書き続けたいという要求をすんなりきいてくれない場合があります。このシェーファーは持ち主に従順な優等生なのです。

 入手したいきさつからしておそらくそんなに高級品ではないと思います。しかし、おそらく一生使い続けることになるでしょう。

 つまり「アタリ」です。先生、どうもありがとう。

山の歌人

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 先々週、年度の最終日が日曜でしたが、OBP(大阪ビジネスパーク)のツインビルで古本市があり、出かけてきました。いろんな古書店がブースを出してて、広い会場内に様々な分野の本、雑誌から、古いポスター、絵はがき、音楽CDまで、夥しい量が並んでます。端からゆっくりと眺めていくと普段はあまり気にもしないジャンルの本の数々が実に興味深く、飽きることがない。時間もあるし、ゆっ~くりと楽しませてもらいました。

 あちこちで開催される古書市の情報を得ると、機会があれば行くことにしています。  お目当ての書籍や掘り出し物を探しあてるためには、時間がたっぷりないといけません。なんせ新刊書のようにジャンルや作者別に整理されていない。興味があろうが無かろうが端から1冊ずつチェックしていかなければなりません。根気のいる作業です。事前ににトイレを済ませておくことも必須です(^^)。

 長時間の探索の後、この日何冊か買い求めた中の1冊、前 登志夫 著「吉野紀行」です。

 30年近く前に書かれた、ひと言でいうと紀行・案内書です。国のまほろば大和にあって、奈良の都から南に下ること約50キロ、古より日本の歴史の舞台として何度も登場してきた吉野について、その魅力を綴っています。 

 先日、故郷下市町の広橋梅林を訪れたことを書きましたが、実はこの本の著者である前氏はこの広橋に生まれ、ずっと住んでおられた方です。

 故郷下市、吉野そして奈良を愛し、その魅力を和歌に託して世に知らしめてこられた、郷土の誇る文化人です。惜しいかな、5年ほど前に鬼籍に入られました。

 世界遺産の吉野は知名度バツグンですが、となりのわが下市は観光資源という点ではやや厳しい。しかし自然豊かで人情味あふれるいい処です。過疎化、少子化が進み街の勢いは衰退著しい、何とか頑張ってほしい。そのためには前氏のような素晴らしい方が、ずっとこの地から発信を続けていただきたかった。 

 あらためて、今回求めた著作を拝読すると、永年在住の方ならではの愛情に満ちた視点から、奈良から吉野に至る広い範囲の郷土について、日本語の豊かで美しい表現にのせて語られています。知らなかった伝統やビューポイントなど発見があり、また、歩いてみようという気になります。

京文化考察

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P4063638.jpg 爆弾低気圧が接近し、日本列島が台風並みの暴風雨に見舞われ、気象庁は「不要不急の外出はひかえましょう」と警告する中、京都に花見に出かけました。

 高校時代の友人たちでいわゆるプチ同窓会とゆうのか、花見の時期や夏の納涼など機会を見つけては集う気の置けない連中です。今回は男女8人が集まりました。

 さすがに桜の下でシートを広げるわけにはいかず、花の名所、疏水インクラインを素通りし、料亭のお座敷で京料理をいただきました。これは例年になく早い桜の散り具合と荒天を見越した幹事(京都在勤)のFINE PLAYでした。
 
 南禅寺近く。この界隈は企業や社寺の別邸が多く貫禄の豪邸が軒を連ねます。今日のお店「熊魚庵本P4063647.jpg店」さんは旧細川別邸の隣にあります。

  お店2階の窓から臨むと、多くの別邸や南禅寺境内の木木の緑が強い風に揺れています。お天気がよければ陽光に映えたであろう桜の木々も今日の嵐でほぼ壊滅状態です。まあ濃い碧に降り注ぐ雨もそれなりに情緒があってよしとポジティブに捉えるのです。
 
 さて、料理は上品な京懐石で、昼席ということもあってか極めて適量。味も申し分なし。話の盛り上がりに連れてお酒もどんどん進み、宴たけなわとなったところで今日のサプライズ、舞妓さんの登場となりました。
 
 実は昨年も花見の時期、白川の置屋でほぼ同じメンバーの京の文化にふれる集まりがあり、これがなかなか評判よかった。そこで、IMG_0470.jpg幹事が馴染みの置屋さんに密かに手配した、これは今日2つめのFINE PLAYやったのです。

 この舞妓さんの話がよかった。
 
 なんと、16歳!。東京のド真ん中出身でこの春デビューしたばっかとのこと。話し出すとなるほど女子高生世代、明るくて話題豊富。たいしたもんです。しかし、苦労して勉強したであろう京言葉、単語は祇園言葉なれど、イントネーションは明らかに標準語のそれです。このあたりこれからの課題ですね。
 
 舞妓修行の様子など聞いていると興味は尽きず、あっという間に時間が過ぎていきました。そもそも中学校卒業して芸妓の道を志そうというその意気やよし。帰りの車の中で「あの娘たいしたもんや。きっと大成して名を成すやろ」ということで意見の一致を見ました。
 彼女の話によると、京都五花街(祇園甲部、宮川町、祇園東、先斗町、上七軒)あわせて舞妓さんは60人ちょっとしかいないとのこと。芸舞妓は日本の誇るべき文化のひとつ、隆盛を願わずにいられません。
 
 幹事氏は近く転勤で京都を離れる可能性があるとか。それは困ります。次回もわれわれの京都伝統文化理解のあくなき研鑽のため、研究の機会を提供いただくことがどうしても必要なのです。そのあたりの事情を彼の会社にかけ合ってみよかしら。

IMG_0451.jpg 新しい万年筆を1本買いました。
 
 ナミキ「ファルコン」という、その筋では大変な人気商品をネットのショップでリーズナブル価額で落手できたのです。これを期に「万年筆」について何回かに分けて綴ってみます。
 
 そもそも事務の仕事をしているくせに、商売道具のステーショナリーはあまりこだわらない方なのです。
 
 鉛筆、ボールペン、便せん、付箋紙、仕事では職場にあるものでほとんど賄ってます。
 
 近年、仕事上の書き物はほとんどすべてパソコンのテキストエディタやワープロソフトで行うので、そもそも字を書くことが激減しました。昔はみんな手で書いたもんです。学生時代は言うにおよばず社会人なりたての頃も、書類作成は社用箋にシャープペンシルや汎用普及品のボールペン(1本50円くらいの)で、という時代が続きました。ところがいつの頃からかOA化が一気に進み、文書作成もワープロ専用機を経てパソコンに移行し、今や手で書いた書類なんかめったに見かけなくなりました。ときおり何かに手書きする際も自前の「シャーボ」でほぼ事足ります。
 
 しかし、稀に手紙を書いたり会議やセミナーでノートを取る際には万年筆を使うことがあります。筆圧少なく書けるので疲れないからです。従ってこだわりがあるとすれば万年筆に限って、すこしだけあるのです。

IMG_9473.jpg 生涯初めて万年筆を手にしたのは70年代、ご多分に漏れず中学校の入学祝いで誰かにいただいたものやったと記憶してます。
 
 パイロットの「エリート」という商品、普及品で当時おそらく1,000円~2,000円やったと思います。私の名前が刻まれてますが、針で引っ掻いたような高級感のない仕事です。ひょっとすると小学校が卒業生全員に記念品として配布したとか、そんな経緯やったかも知れません。いわば安物ですが記念すべき万年筆第1号なので今でもとってあるのです。何十年ぶりかで引っ張り出してきたのですが、当然手入れしないと使えない状態です。してもムリかも知れない。汚れてますが箱も残ってて、よくみると「K18ペン付」と書いてある。案外高級品やったかも。
 
 この万年筆、現今の多くのモデルと比べると非常に短い。キャップが長くて、全長の2/3を占めます。書くときにはペンのお尻にキャップを挿さないと短くて書きにくくなります。
 
 当時、中学生。万年筆を使うことなどあまりありませんでした。従ってとても綺麗な状態で残ってます。いちど丁寧に手入れして、また使ってみようかななんて思ってます。

WELCOME

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PROFILE

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katsuhiko

男 

血はO型

奈良県出身大阪府在住のサラリーマン

生まれてから約半世紀たちました。

お休みの日は、野山を歩くことがあります。

雨の日と夜中はクラシック音楽聴いてます。

カラオケはアニソンから軍歌まで1000曲以上歌えます

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