今日は、思い立って、二上山に登ってきました。
近鉄二上山駅から登って当麻寺に下りるオーソドックスなルートです。
大阪平野と奈良盆地を南北真っ二つに分かつ生駒、信貴、葛城、金剛と連なる山脈の一部で、名前のとおり雄岳(517m)・雌岳(474m)のツインピークスの低山です。
青春時代、奈良盆地南部を棲息域にしてたので、二上山はおなじみのアイテムです。高校からもよく見えてて、あって当たり前の馴染んだ風景でした。ところが見るだけで登る機会はずぅ~っとなかったのです。
駅降りたって麓に向かっててくてく。二上山駅からのアクセスは山の真北になるので、雌岳の頂は見えず「一上山」です。登山道に至る歩道はバイパスを跨ぐ高架橋を渡っていきます。この道路ができて20年くらいになるかなぁ、県南部から大阪へのアクセスがよくなりましたが、その後有料の「南阪奈道路」の開通で、さらに便利になりました。山裾の紅葉の中を延びていきます。
二上山(にじょうざん「ふたかみやま」とも)は、日本古代史には頻繁に登場するステージです。時の都、飛鳥の東にある三輪山が朝日さす神の山なら、真西に位置する二上山は日の沈む死の山、浄土への入り口とされてたとか。
五木寛之「風の王国」 30年近く前、就職した年に読んだ、好きな小説のひとつです。永年なにげに見てた二上山に秘められた事実、日本史の裏側で陽をあびることなく脈々と伝えられてきた負の側面を大胆な設定で描き上げた、五木渾身の問題作です。「青春の門」「戒厳令の夜」なんかもいいけど、わたしにとっての五木最高峰はこれです。
登場人物の教授のセリフ 「二上山は大和のいわば奥津城なのだよ……わたしは二上山に登りたくないのだ!」
つまり究極の神聖エリアなわけですが、何も考えなければ気楽・お手軽なハイキングコースです。登山道もやたらいっぱいあり、よく整備されてます。ふもとの香芝市や葛城市の中学生は体育の時間に走って登るとか。
二上山駅からだと、先に雄岳に向かうことになります。
頂上近くに噂の大津皇子のお墓があります。この人は悲劇の皇子として名高い。
飛鳥時代、甥の大友皇子と「壬申の乱」の大スペクタクルを展開した大海女皇子(天武天皇)の子なのですが、継母の持統天皇の陰謀で自殺させられてしまった。血なまぐさい皇位継承の争いは洋の東西問わず数多くありました。ところがその持統帝、継子とはいえやっぱり寝覚めが悪かったと見えて、二上山に皇子の立派なお墓を建立した…
これです →
最近、雄岳山頂では入山料を取られる、なんてことがネットに書いてましたが、それらしき気配はありませんでした。運がよかっただけでしょか。
雌岳頂上から見た奈良県側の南方向。
奈良盆地は霧に包まれており、大峰山塊の峰々が雄大な姿を横たえます。
この付近で昼食摂ったのが11時過ぎ。登ってくる団体、家族連れが増えてきました。日曜日だけあって、子供たちもワラワラ。 引率の先生と児童と思しき団体、サッカーチーム、ビーグル犬連れた人もいます。散歩感覚。
反対側大阪平野山沿いの北方向。雄岳の紅葉がキレイです。
しばらく休んでいると、ハイカーが増える増える。頂上付近は大阪駅のコンコースなみの賑わいになってきました。そろそろ退散すべし。
雄岳・雌岳のあいだの「馬の背」から当麻寺方面へ向かいます。あとはただただ下るだけ。
麓まで下りてきました。
山頂の喧噪とはうって変わってのどかな田園地帯が広がってます。
当麻寺に向かう途中の道に、こんなお堂がありました。
脇の説明書に 「傘堂」 となってます。柱一本のお堂でまさに傘みたい。
せっかくですから当麻寺にも立ち寄りました。
飛鳥時代創建のユイショあるお寺で、中将姫の「蓮の曼荼羅」伝説で有名です。
三重の塔といえば法起寺、浄瑠璃寺、そしてなんといっても薬師寺東塔が超メジャーですが、古い東塔、西塔が現存するのは当麻寺が日本唯一だそうです。そいやほかにないですよね。
左東塔、右西塔。どっちも国宝。 美しい。
こんな近くまで入場料とか拝観料とかナシで近寄れます。良心的だこと。
当麻寺を後にして、近鉄当麻寺駅に向かいます。振り返れば太古より変わらない二上山の勇姿。
大津皇子の無念を思いつつ、うららかな晩秋の一日は過ぎてゆくのであった。